ログイン目が覚めると、キッチンからは良い匂いが既に漂って来ていた。カリナはベッドから出ると、洗顔などの朝の準備を済ませてからキッチンへと向かった。
「おはよう、今日も早いな」
「おはようございます、カリナ様。もうすぐ準備ができますのでテーブルに着いておいて下さい」
てきぱきと朝食の準備を終えると、テーブルにはトーストやベーコン、目玉焼きなどの料理が並べられた。
「やはりルナフレアの料理は美味いなぁ」
「まあ、こんな質素なお食事で喜んでもらえるなんて嬉しいです」
朝食を食べ終わると、カリナの着替えをルナフレアが手伝ってくれた。昨日着せられた衣装が装着される。更に昨日買った厚手の黒いコートを手渡された。
「上空は寒いかもしれませんからね。これはアイテムボックスに入れていつでも着れるようにしておいて下さい。体調を崩されては大変ですから」
「ありがとう、準備しておくよ」
ルナフレアの心遣いが身に染みる。昨日季節外れのコートを買ったのはこういう理由だったのだと理解できた。
「それとお弁当です。休憩する時にでも食べて下さいね」
サンドイッチの包みを渡される。「ありがとう」と言ってそれもアイテムボックスの中にしまい込む。
「じゃあ行ってくるよ。なるべく早く帰って来るようにするから」
「はい、お待ちしています。と、その前に……」
ルナフレアがカリナの右手を取って、左手を重ね合わせる。二人の手が輝き、カリナの右手の甲にある紋章へと収束されていった。
「加護の更新です。何があるかわかりませんから」
「ありがとう。安心感が増した気がする。じゃあ行ってきます」
カリナはそう言って自室の扉を内側から開けて駆けていった。
「どうか、何事も起こりませんように……」
ルナフレアはそう言って両手を組んで祈りながら、カリナの背を見送った。
城内を通り抜けて城門を開ける。そこにはカシューと側近のアステリオン、近衛騎士団隊長のクラウス、戦車隊隊長のガレウス、エクリアとその代行のレミリア、そして王国騎士団副団長のライアンがカリナが来るのを待っていた。
「これは、こんな朝早くから私の見送りのために集まってくれたのか?」
「そういうことだ、カリナよ。其方からの朗報を期待している」
国王のロールプレイで話しかけたカシューに思わず笑みがこぼれる。
「私もサティアの安否は気になるから、よろしくねカリナ。良い知らせを待ってるわ」
エクリアは人前では完璧な女性を演じている。その余りの豹変振りにカリナは大笑いしそうになったが、皆の手前我慢した。
「我々もカリナ様の安全を祈っております」
すっかり丸くなったクラウスが礼儀正しく挨拶をする。最初に出会ったときとは全く違う態度に毒気を抜かれる。その後もそれぞれから声を掛けられると、カリナは東の地、ルミナス聖光国へ向けて出発するためにペガサスを召喚した。
「じゃあ行ってくるよ。何かあれば通信機で連絡は入れるようにするから。それじゃ」
ペガサスに跨ると、その翼が輝き、はためき始めた。地上から離れると、上空で旋回し、かなりの速度でペガサスは空を駆けて行った。
「さて、無事にサティアが見つかるといいんだが……」
「どうか致しましたか、陛下?」
カシューの小声にアステリオンが反応した。
「ここ最近の各国の情勢を各地にいる諜報員に報告させているが、悪魔共が陰で色々と動きを見せている可能性がある。五大国でも何かしらの影響はあるかもしれないということだな」
「確かに最近の悪魔の目撃例は多いですからね。聖光国に何事もなければいいのですが……」
一行の心配をよそに、カリナはペガサスと空の旅を楽しんでいた。
◆◆◆ 眼下にエデン周辺の街並みが見える。そして更に東に行った先にある平原は、地形が抉れて至る所にクレーターの様なものが出来上がっていた。ここには魔物討伐にエクリアの部隊が出陣していたはずである。荒れた大地を見ながら、やはりエクリアは災害級の魔法使いなのだと実感した。ペガサスが更に高度を上げると、上空はやはり少し冷え込んで来た。ルナフレアから渡されたコートを取り出して身に付けると幾分かはマシになった。
「やはり上空を飛ぶときは体温管理が大切になってくるな」
聖光国まではまだ数日の距離がある。適度に休息を取って進まないと参ってしまう可能性がある。それにペガサスの体力も問題になってくる。如何に召喚体とはいえ、疲労は蓄積する。カリナは2、3時間に一度は地上に降りて休憩を取るように心掛けた。
下に街が見えた時にはそこに立ち寄って休むことにした。そして日が暮れて来たときに、調度街が見えた。今日はここで休むことにしようと思い、ペガサスを降下させる。そして街の中心部に降りると、ペガサスに「また頼むぞ」と言って召喚解除した。
光の粒子となって送還されていくペガサスと、それに乗って来た美少女を見て、街の住民達は騒然となった。
「しまった、街の手前で降りるべきだった」
迂闊なことをしてしまったと思ったが後の祭りである。カリナの周りに興味を持った住民達が声を掛けに来る。
「お嬢ちゃん、まさかペガサスに乗って来たのか?」
「高位の召喚獣じゃないか、まだそんなものを扱える召喚士がいたんだな……」
物珍しさから住人達に囲まれてわいわいと話しかけられる。それほどまでに今の召喚士は数が少ないのかと、カリナはしょんぼりとしてしまった。
「いかにも私は召喚士だ。今日はこの街で宿を取ろうと思ってね。どこかに良い宿がないか紹介してはくれないだろうか?」
マップ機能を展開すると、ここはチェスターという中堅冒険者が集まる街だとわかった。且つては自分もこの辺りでレベリングしていたので、地名くらいは知っている。だが100年の時が流れている訳だし、自分が知っているVAOとは別物だと考えるようにしている。
ゲーム時代には召喚獣に乗ることなど、地上を走るユニコーンくらいしかできなかった。上空から見下ろすことなどなかったので、到着するまではここが何処なのかはわからなかったのである。
「それなら街の南にここいらじゃ一番立派な宿屋があるぜ。「鹿の角亭」っていう飲食店と一緒になっている店だ。そこは料理も美味いから行ってみるといい」
「ありがとう、行ってみるとするよ」
集まって来た者達から情報を聞くと、カリナは人混みを抜け出して歩き始めた。
昼間はルナフレアから渡されていた弁当を休憩がてらに食べただけだったので、この時間になるとさすがに空腹が酷くなっていた。更に長時間ペガサスに跨っていたのでお尻が痛い。明日はもっと乗り心地の良い召喚体を呼ぶべきかと考えていたところに、後ろから誰かがぶつかって来たので、体重の軽いカリナは前につんのめって転んだ。
「痛たた……。誰だよ急に突っ込んで来たのは」
身体を起こして振り返るとそこには小さな子供が一人前のめりに倒れていた。この子がぶつかって来たのだろう。カリナは一瞬スリか何かかもしれないと警戒したが、その子供が泣いていることに気付いて、その線はないという風に考えを変えた。そして立ち上がってから手を引いて起こしてやる。
「どうした少年? 何か急ぎの用事か何かか?」
「あ、あううう……」
「男がそんなに泣くんじゃない。何があったのか話してみろ」
泣き止んだ黒髪の少年は、カリナの首から掛けられているギルドの冒険者章を見ると、涙を拭いて話し始めた。
「お姉ちゃんひょっとして冒険者?」
「ああ、私はカリナというBランクの冒険者だよ。それでどうした? 何があった?」
「お父さんとお母さんが帰って来ないんだ。近くの「死者の迷宮」に行った切り……。もう3日も経つのに……」
「死者の迷宮か……。あそこはアンデッドがウヨウヨしている中級難易度のダンジョンだったな」
「うん、だから連れて行ってくれる冒険者を探していたんだけど……」
そうやって少年と話をしていると、その後ろから4人組の冒険者パーティーらしき者達が走ってやって来た。
「ようやく追いついたわ」
明らかにこの少年を追いかけてやって来たと思われる4人組から少年を自分の後ろに隠し、カリナは警戒した。
「何だお前達は? ひょっとして人攫いか?」
カリナの視線に射抜かれて、4人組は「違う違う」と弁明した。
「じゃあ何の用がある? この少年を追って来た理由は?」
「その子が死者の迷宮に一緒に行ってくれる冒険者を探してたのよ、ギルド組合でね。でも誰も取り合ってくれなかったみたいで……。「それなら独りでも行く」って言って出て行ったものだから、私達は心配になって追いかけて来たって訳」
最初に声を掛けて来た軽装の女戦士がそう説明した。耳が長く尖っている。彼女はエルフだろう。
「そういうことだ。だから俺達は人攫いとかそんなんじゃない」
巨大な戦斧を背中に背負った重戦士風の男も弁明する。
「何だ、そういうことだったのか。ではお前達がこの子を迷宮に連れて行くつもりなのか?」
「いや、さすがにこんな子供を連れてダンジョンに潜る訳にはいかないからな、俺達が代わりに行くから待ってろって言おうとしたんだけど逃げられちまって……」
この青年の装備からしてシーフやスカウトといった職業だろう。ダンジョン内での罠探知や宝箱のトラップ解除に長けているジョブである。
「そうか、だったら私がこの子を連れてダンジョンに行くよ。ちゃんと守ってやれば問題はないだろう?」
カリナには鉄壁の守備力を持つ召喚体のホーリーナイトがいる。それに守らせれば少年の護衛など造作もない。
「ええっ? でもあなたが? まだ小さいのにそんなことができるの?」
最後に魔法使い風の青いローブを纏った女性が声を上げる。確かに見た目からしてカリナはまだ幼さが残るファンシーな衣装を着た少女にしか見えないからである。
「できるとも。私の召喚術に不可能はほとんどない」
そう言ってカリナは胸を張った。
「そこは「ない」じゃないのね……」
エルフの女性戦士がツッコミを入れる。
「それはそうだろう。全てのことに完璧に対応できる人間なんていない。そんなことができるのは神だけだ。だからほとんどないと言ったんだ」
「でも召喚術だろ? 俺は召喚士をまともに見たことがないんだが、大丈夫なのか?」
ここでもまた召喚士は不遇扱いなのかと、カリナはうんざりした。ならばと左手の人差し指を捻っただけでシャドウナイトを呼び出し、その大剣の切っ先を軽口を叩いたシーフ風の男の首筋に突き付けた。
「なっ?! いつの間に? 何て速さの召喚なんだ……」
「これでもまだ当てにならないか?」
黒騎士を送還してからカリナはそう言った。
「今ので十分だ。お嬢ちゃんが凄腕の召喚士であることは理解できる」
重戦士の男が素直にカリナの召喚術の凄さを認めた。
「それに私自身魔法剣士で格闘家でもある。多少の魔物程度なら召喚術を使うまでもない」
「わかったわ。ならもう止めない。でも私達も心配だから同行させてもらうわ。それでもいいかしら?」
そのくらいは構わないだろうと思ったカリナは快く承諾した。
「で、少年。お前の名前は何というんだ?」
ずっとカリナの後ろに隠れていた男の子は、協力者ができたことに安心して前に出た。
「僕はヤコフと言います。お父さんは剣士でジェラール、お母さんは僧侶でクリアです」
「その二人なら組合でも指折りの実力者じゃないの! そんな二人が帰って来ないとなるとさすがに何か起きたとしか考えられない……」
魔法使いの女性がそんなことを言った。カリナはここにも悪魔の影響が及んでいるのかもしれないと考えた。それならば猶更自分が赴く必要がある。
「わかった。だが今日はもう遅い。夜中にダンジョンに入るなど普通に自殺行為だ。宿を紹介してもらったし、そこでは飲食もできるらしい。そこでお互い自己紹介とでもいこう。ヤコフもそれでいいか?」
「うん、ありがとうカリナお姉ちゃん」
「街の人が紹介するくらいの飲食できる宿屋なら「鹿の角亭」ね? 賑わって席がなくなる前にさっさと行きましょう」
エルフの女性はそう言って、カリナを案内するために先陣を切って歩き始めた。
疲労で仰向けに倒れ込んだカリナは、まだ明るい空を見上げていた。VAOがゲームのときは、その中でいくら身体を動かしても、実際には現実の身体を動かしてはいない。そのため、長時間のプレイで精神的に疲れることがあっても肉体に疲労感を感じることなどなかった。しかし、今のこの世界は現実世界と何ら変わりない。身体に感じる疲労感がそのことを物語っていた。「長時間の戦闘には気を付けないといけないな……」 危険な攻撃を躱す瞬間に擦り減る神経。接触した際に響く衝撃。敵を斬り裂き、殴り飛ばす時に感じるリアルな感触。どれもが僅かだが、少しずつ疲労を蓄積させる。ゲーム内でのステータスは今は見えないが、これまでに鍛え抜いた力があるだけに、現実世界で急激な運動をしたとき程の負担がある訳ではないが、ある程度の自分の限界は見定めておくべきだと思うのだった。 深呼吸をしてから、ゆっくりと立ち上がる。身に纏っていた聖衣が解除され、ペガサスの姿に戻る。同時に二対の黄金の剣に姿を変えていた蟹のプレセペも元の姿に戻った。「ご苦労だったなお前達、また力を貸してくれ」 ペガサスの頭と巨大な蟹の甲羅の背中を撫でる。「所詮は伯爵レベルよな。我の力があれば主も余裕であっただろう。では次の機会を楽しみにしているぞ」 大口を叩く巨蟹のプレセペ。二体の召喚獣は光の粒子に包まれて消えていった。その光が空へ向けて霧散していくのを見守っていると、魔物の討伐を終えたワルキューレの姉妹達が、カリナの下へ集結して来た。「主様、討伐完了致しました。目に着いた怪我人も我々が治療しておきました。燃えていた建物も、ミストの水魔法で消火済みです」 その場に跪いたヒルダが報告する。「そうか、よくやってくれた。感謝する。ありがとう。お前達の御陰で被害は少なくて済んだみたいだな」「私達を即座に現場に送り込んだ主様の判断の御陰ですよ。私達はただ任務を熟したに過ぎません」 黒髪のロングヘアが美しいカーラが答える。「それに私達にはそれぞれ得意な属性があります。それを上手く分担したまでですよ」 金髪のエイルが胸を張った。 ワルキューレまたはヴァルキュリャ、ヴァルキリー「戦死者を選ぶもの」の意は、北欧神話で戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性、及びその軍団のことである。 北欧神話において、ワルキューレは多数存在
悪魔が炎によって燃え尽きたのを見届けると、カリナはカシューに連絡を取った。「聞こえていたか、カシュー?」「うん、どうやら色々と考察する余地がありそうだね」 イヤホンの向こうから、真剣なカシューの声が聞こえる。「先ずは奴の言っていたことが気にかかる。近くの街はチェスターだ。情報通りならそこに悪魔が向かっていることになる。私は急いで戻る。そっちからも援軍を出してくれないか?」「わかった、戦車部隊に戦力を乗せて全速力で向かわせるよ。それなりの距離だから間に合うか微妙だけどね」「頼んだ。とりあえず一旦切るぞ」「了解、また何かあればよろしく」 カシューの返答を聞いてから、左耳のイヤホンに注いでいた魔力を切った。急いで街に戻らなければならない。意識を切り替えて、真眼と魔眼の効果を解除した。聖衣が身体から外れて、黄金の獅子のカイザーの姿へと戻る。「お見事でした、我が主よ」「いや、お前の力がなければ危なかったよ。ありがとう、また呼んだときは頼んだぞ。ゆっくり休んでくれ」 光の粒子になってカイザーは消えていった。そして湖の中から自動回復した黒騎士達が戻って来た。ヤコフの両親を運ぶのはこの騎士達に任せるとするかと考えていたとき、背後からシルバーウイングの面々が押しかけて来た。「やったな、まさか本当に悪魔を斃してしまうとは」「ああ、すげーぜ! こっちまで興奮してきた」 アベルとロックは単独で悪魔を撃破した少女に称賛の言葉を贈る。「ええ、召喚術ってすごいのね。しかもあの召喚獣を身に纏う戦い方なんて初めて目にしたわ」「しかも結局格闘術だけで押し切ってしまいましたね。魔法剣を使うまでもなかったということでしょうか?」 エリアとセリナも興奮が抑えきれないのか、矢継ぎ早に話しかけて来る。「あれは聖衣という召喚獣の力をその身に纏う鉄壁の鎧だ。あらゆる能力が著しく向上する私の奥の手だよ。召喚獣との信頼関係がないと身に纏うことはできないけどな」 剣を使わなかったのは、格闘術だけでどこまでやれるかという実験でもあった。生身の拳では致命傷は与えられなかったが、それなりに戦えることがわかっただけでも、カリナにとっては大きな収穫になった。「そうだ、ヤコフの両親の容態はどうなってる?」「出来る限りの治療はしたから一命は取り留めたわ。でもまだ意識
カリナの格闘術の一撃で怯んだ悪魔侯爵イペス・ヘッジナだったが、すぐさま体勢を立て直し、身体から黒い炎を撒き散らしながらカリナへと突進して来た。「おのれ、小娘がっ!」 振るった大鎌が空を斬る。カリナは大振りな悪魔の攻撃に意識を集中させ、瞬歩で即座に距離を取る。そこに生まれた一瞬の隙の間に懐に飛び込み、右拳での一撃をどてっ腹の中心部に撃ち込んだ。格闘術、烈衝拳。土属性の魔力を纏った、まるで鋼鉄の様に硬化された拳の一撃。悪魔の赤黒い鎧に僅かに亀裂が走る。 カリナは召喚術が実装されるまでは基本的に剣術と格闘術を中心に熟練度を上げていた。そこへ剣技の威力を上げるために魔法を習得した。魔法剣の習得は魔力の底上げとなった。それの副次効果で、魔力を帯びた特殊な格闘術の技能も全般的に威力を向上させることに成功したのである。「がはっ、何だ……? この威力は?!」「だから言っただろう。小突いただけだとな」「小癪なっ!」 力任せの大振りの鎌を瞬歩を使用して紙一重で躱す。そのまま一気に巨体の股の下を潜り抜けて後ろを取ると、背後から風の魔力を纏った左脚での回し蹴りを見舞った。格闘術、烈風脚。悪魔の背にある翼の付け根に繰り出した蹴りが撃ち込まれる。「がああっ!」 竜巻の如き強烈な蹴りに悪魔は仰け反るが、すぐさま持ち直し、黒炎を撒き散らしながら突進して来る。 イペスの攻撃は大振りで読み易いということを既にカリナは見抜いている。しかし、それでもその巨体から繰り出される攻撃は異常な破壊力を秘めており、一撃でもまともに喰らえばかなりのダメージを負うだろう。最悪骨の数本は持っていかれる。一撃も貰うわけにはいかない。スレスレで回避する度に神経が擦り減っていく。「があああっ!」 上段から大鎌を振り被った渾身の一撃を敢えて前方に踏み込み、懐に入るようにして躱す。そのまま空振りをした硬直状態の悪魔の身体を駆け上がり、眼前で左拳を振り被る。「格闘術、紅蓮爆炎拳!」 ドゴオオオオオオッ!!! 炎の魔力を纏った高熱の拳が炸裂すると同時に頭全体を巻き込んで爆発した。衝撃で痺れる拳の代わりに、悪魔は後方へと後退る。「ぐはあああああっ!」 それでもまだこの悪魔侯爵は倒れない。やはり高位の悪魔だけあって相当に打たれ強く頑強であ
「あ、戻って来た。カリナちゃーん!」 死者の間の祭壇から帰還して来るカリナを見つけたエリアは、カリナの方へ向かって手を振った。「もう用事は済んだのか?」 ロックは口に何かを入れた状態で、手にはサンドイッチが乗せられている。「ああ、一応な。ってなんだ、食事中だったのか」 持ち込んだ食材をセリナとアベルが料理している。それをヤコフを含めた他の面々が食べているところだった。エリアもアイテムボックスから次の食材を取り出しているところだった。NPCであっても冒険者はアイテムボックスを使うことができるのかということをカリナは初めて知った。 確かにこの迷宮に挑むとき、彼らは大した荷物を持っていなかった。それはこういうことだったのかとカリナは得心した。「食事は簡単なものだが、一応拘ってやっているんだ。冒険中には腹が空くこともある。食べるってのは活力を回復させるのには一番だからな」「そういうこと。まあそんなに手の込んだ料理は作れないけどね」 アベルとセリナは起こした火の上で薄い肉や野菜を焼いて、それをパンに挟んでいる。最初にロックが手にしていたのはこれだったのかとカリナは知った。そう言えば、もう迷宮に入ってそれなりの時間が経つ。昼を回っている頃だ。カリナは自分も多少小腹が空いていることに気付かされた。「ほら、カリナ嬢ちゃんも食べな。飲み物はお茶を沸かしてある」「そうだな、お前達が食べているのを見ていたら小腹が空いて来た。じゃあ頂こうかな」 アベルからサンドイッチとお茶を受け取り、地べたに座り込む。簡単な食事だが、活力が湧いて来るのを感じる。現実の冒険であれば当然のことだが、途中で補給を行う必要がある。VAOがゲームのときにはなかった現実的な問題である。これも世界が変わった影響で、今後もこういった発見があると思うと、カリナは内心ワクワク感が湧き上がって来るのを感じた。「ヤコフ、ちゃんと食べているか?」「うん、さっき貰ったから食べたよ。美味しかった」「そうか、良かったな」 魔物をヒルダが一掃したので、辺りにはもう何の気配もない。時間が経てばリポップすることになるのだろうが、暫くは問題ないだろう。渡されたカップに注がれたお茶を啜りながらカリナはそう思った。 食事を終え、少し休憩した後、一同は地底湖のある階層に進むことに決めた。普段は何も出現しない、鍾乳洞
迷宮の扉を開けて中へと入ると、地下へと続く広い通路に階段がある。そこを降って行くと迷路の様に広がる巨大な階層へと到達した。 VAOの頃からこの迷宮は地下7層まである。その下には地底湖が広がっていて調度良い休憩場所にもなっていた。そして7層にある死者の間には巨大な鏡があり、そこでは死者に会えるという設定があった。ゲームの頃にはただの設定だったが、今や現実となったこの世界では、本当に死者に会えるのかも知れない。カリナの目的の一つは、その鏡の前で過去に死に別れたある女性との再会が可能かどうかを確かめることだった。 一行が迷宮を進んで行くと、前方から魔物の気配が近づいて来た。「おいでなすったぜ、死者の迷宮の定番。グールにスケルトンだ」 ロックがそう言って二刀のナイフを抜く。他のメンバーも戦闘の準備に入り、襲い来る魔物達をなぎ倒していくのだが、カリナは後方でヤコフの側に白騎士を待機させて眺めていた。「張り切っているなあ。このままでは私の出番はないかもしれない」「カリナお姉ちゃんも戦いに参加したいの?」「うーん、あのぐじゅぐじゅしたアンデッドに関わりたくはないのが本音かな……。できれば触りたくない、臭い」 現実となった世界では、この死者の迷宮内部の腐臭は酷いものだった。鼻がひん曲がりそうである。アンデッドが湧き続ける限り、この悪臭が続くのかと思うと、気が遠くなりそうになった。それにこのまま素直に正攻法で攻略していては時間がかなりかかりそうである。ヤコフの両親の安否も気になるため、カリナは一気にこの迷宮の魔物を掃除することに決めた。 その場で両手を広げ、魔法陣を展開させて詠唱の祝詞を唱える。「遥かヴァルハラへと繋がる道を護る者よ、炎を纏う戦乙女よ、その姿を現せ!」 重ねた魔法陣が地面へと移動し、そこから白いロングスカートに全身鎧を身に纏った戦乙女、ワルキューレが姿を現した。「お久し振りでございます、主様。ワルキューレ、ヒルダ。ここに参上致しました」 戦闘を終えて戻って来たシルバーウイングの面々も初めて見る召喚魔法とその召喚体の美しさに目を奪われている。「ああ、久し振りだな。どうやら長い時間お前達を放置してしまったみたいだ。申し訳ない。いつの間にか時が流れていたみたいでな」「いえ、こうしてまた呼んで頂き光栄でございます。さて、此度の御用は如何なもの
宿の女将さんに教えてもらった防具屋に着く。まだそれなりに早い時間帯だが、その店は既に営業を開始していた。入り口の扉に「OPEN」と書かれた札が掛けられている。カリナがヤコフを連れて店に入ると、店の店主が声を掛けて来た。「おや、いらっしゃい。こいつは可愛らしいお客さんだ。もしかして冒険者なのかい?」 店主はどうやらドワーフのようで、恰幅の良い体格、言い換えればずんぐりとした小柄の体格に顔には立派な髭を蓄えていた。手先が器用な種族で鍛冶や生産などにその能力を発揮する。ゲームプレイヤーなら誰もがある程度は知っている知識である。 その店主は、まだ幼さが残る少女が小さな子供を連れて来たので驚いたのだろう。「おはよう。店主、済まないがこの子に合う防具を見繕ってくれないだろうか?」「まあ、客の要望だから応えさせてもらうが……。こんな子供を冒険にでも連れ出すつもりなのかい?」「少々訳ありでな。この子のことは私が守る約束だが、万が一に備えてね。どうかな?」「ふむ、客の事情には深入りはせん主義だ。子供でも着れる軽い装備を準備しよう」「話が早くて助かるよ」 店主はヤコフの身体をごつい手で掴み、素早く寸法を測り終えると、身体に合うサイズの軽いレザーアーマーを着せてくれた。頭にもなめし皮で作られた頑丈な皮の帽子の様な兜を被せた。さすがドワーフだけあって、皮の製品であっても硬く、防御性能は高そうである。この装備に依存する展開が来ないことが一番だが、念には念を入れてのことである。「これでどうだ? ウチでは一番小さいサイズだが、かなり硬くなめした皮で作っているから、多少の攻撃ではびくともしないはずだ」 鎧と帽子を身に付けたヤコフが鏡の前で自分の姿を見て確かめている。「すごいね、これ。硬いのに軽いから着ていても全然苦しくないよ」「そうか、ならそれにしよう。店主、値段は幾らだろうか?」「そうだな、本当は二つ合わせて8,000セリンだが、サイズが合う人間がいなくてな。もう売れないと思っていたから5,000に負けておくよ。それでどうだ?」「わかった、それで十分だよ。ありがとう」 カリナが代金を払うと、店主から「まいどあり」という言葉が返って来た。こういう店での定番のやり取りである。「良い買い物ができた。また機会があれば寄らせてもらうよ」「おう、気を付けて行ってきな」







